昔話 ・8

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「いや〜、本当に助かりました。一時はどうなるかと思いましたよ」
 男は空になった皿を前にして、とても満足げな声を上げた。
 あのあとユリアンは、空腹で一歩も歩けないという男の人を引きずって、村で唯一の酒場兼宿屋へと訪れた。本当は放って置こうかとも思ったのだが、このまま自分をおいていけば、ユリアンが自分を化け物だと思って泣いてしまったことを村中に言いふらしてやると脅されて、しぶしぶここまで連れてきたのだ。
 まぁ、ユリアンが放っておこうかと思ったのも無理はないだろう。男は、見るからに怪しげだった。
 全身、緑色の外套で身を包んでいて、室内だというのに脱ごうともしない。そしてこれもとるつもりはないのだろうか?やけに幅の広い緑色の帽子をかぶっている。その帽子のせいで、顔をうかがい知ることもできなかった。
 性格は、飄々として掴み所がなく、どちらかといえば子どものような雰囲気を持った男だった。
 もちろん、この村にこんな男はいないし、最近訪れた冒険者の中にもこんな男はいなかったはずだ。
 情報の伝わりが早いのが村の特徴である。しかもこれだけ目立つ男だ。そんな男のことが話題にのぼらないということは、この男は今日初めて、この村を訪れたということに他ならなかった。
「はい、ウサギの香草焼きの追加、お待ち」
 コトンと、酒場のマスターが、ほんわかとおいしそうに湯気を立てる小皿の料理を、テーブルの上に置いた。ついでに、空いたお皿も片付けていく。
「あ、どうもすいません」
 男は酒場の主人に一礼すると、意気揚々と料理に手をつけ始めた。
 ユリアンはテーブルの向かい側で、マスター特製百パーセントオレンジジュースを飲みながら、そんな男の様子をじっと観察し続けた。
 ちなみに、ユリアンの家にはちゃんと言付けが行っているはずである。
 男は、実に幸せそうに料理を口に運んでいく。
(きっと、この人には悩みなんてないんだろうなぁ……)
 などと、そんなことを思っていながら溜め息をつくと、
「あなた」
 ピシリと、フォークを使って男はユリアンを指し示した。そうして、
「どんな人間にも、悩みの一つや二つあるものです。悩まない人間なんていないんですよ」
 と、ユリアンの考えをズバリと言い当ててしまったのである。驚いたのはユリアンだ。目を丸くして、男に見入ってしまっている。
「ふふふ……あまりのことに声も出ないようですね」
「いや、その前にソース垂れてるよ」
「わあ!?ナプキンナプキン!!」
 やはり、イマイチ男を測りかねている少年ユリアンであった。
 男の食事も順調に進んでいき、最後の二口を運ぼうとしている最中、マスターが男に質問をした。
「アンタ、結構食ってるけど、金はあるのかい?」
 カランカラン……肉を差したままのフォークとナイフが、小皿の上に音を立てて転がった。
 シーンと静まり返る店内。マスターとユリアンの顔を見比べながら、男は震える声で聞き返した。
「あの……これっておごりじゃ――」
「あるわけないだろう」
 顔の表情はわからないが、非常にわかりやすい反応をしているので、マスターもユリアンも一目で男が一文無しだということを確信した。
「アンタ、文無しかい?」
 一応、確認のために聞いているだけであって、マスターは端からいい返事など期待していなかった。
「あ〜……あ!ちょ、ちょっと待ってください!もしかしたら、この辺に――!」
 ごそごそと外套や服の中をまさぐる男。その度に何か得体の知れない道具が出てくるのだが、どれもこれも値打ちの低い、ガラクタ同然の代物だった。
「……ふぅ。ユリアンが連れてきたから、黙って飯を作ってやったが、金がないってンじゃあ仕方がないな。見るからに怪しいヤツだし、こうなったら、自警団に引き渡して――」
「あーあーあーあーあー!ありました!ありました!!ほら、一オーラム!これでいかがですか!」
 床に散らばったガラクタの中から、一枚の貨幣を拾い上げた男は、テーブルの上にそれを叩きつけた。
「ふむ……」
 男から一オーラムを受け取り、まじまじと確認するマスター。やがて溜め息を一つつくと、マスターは男にこう言った。
「ま、いいだろう。本当はあと二オーラム足りないが、自警団に引き渡すことだけは勘弁してやる」
「あ、ありがとうございます!足りない分は、働いてでもお返しさせていただきます!!」
「ただな〜、アンタいったい何なんだ?そんな暑苦しい格好をして。顔を見せないってことは、もしかして犯罪者か?」
「ち、違います!私は……えと、こういうものです」
 またも訝しげな視線を向けるマスターに、男は服の中から竪琴のようなものを取り出して見せた。
(あの服の中、どれだけ物が詰まってるんだろう?)
 がらくたを集めて遊んでいたユリアンは、今度男を後ろから突き飛ばしてみようと、密かにそんなことを考えていた。
「アンタ……吟遊詩人か!」
 マスターは嬉々とした叫び声をあげて、男に近寄っていった。
「ええ、古今東西のあらゆる詩を詠えますが、特に私は聖王記詠みを中心にしています」
 先ほどとは打って変わって、とても落ち着いた声でそう語る男。確かに、そう言われれば、そんな風に見えなくもない。
「いやいや、まさかこんな村に吟遊詩人が来てくれるとは思わなかった!ハハハ、それならそうと早く言ってくれればいいのに!アンタ、しばらくうちに泊まっていってくれ!もちろんタダで最高の部屋を用意するし、食事もタダだ」
 マスターは急に上機嫌になって、早口で男にまくし立てた。至極当然のことだ。ただでさえ人の出入りが少なく、極めて娯楽の少ないこの村に吟遊詩人がやってきたのだ。詩人がいるというだけで、店の集客率は大幅にアップすることだろう。
「ほ、本当ですか!?私を、雇ってくださるんですか!!」
 男は立ち上がりながら、突然降って湧いた申し出にマスターよりも喜んでいるようだった。
「もちろんだとも!働き次第じゃ、給金も出すよ!!」
 マスターと男は、もう手を取り合わんばかりの距離まで近づいている。
「ああ!苦節二週間!グレイトフェイクショーを首にされたときには、どうしたものかと嘆いたものですが、捨てる神あれば拾う神あり!やはりこっちの方に流れてきてよかったなぁ〜……」
 こちらから見ることはできないが、どうやら感涙の涙を流しているようだ。
 ……とユリアンは、男が発したある一言に反応して、掴みかからんばかりの勢いで男を問いただした。
「グレイトフェイクショー!!おっさん!グレイトフェイクショーにいたのか!?」
「お、おっさ――コホン、ええ、もちろんいましたとも。ですが、あの人たちは私の芸を理解できず、私はショーから追い出されてしまったんです」
 よよよ……としなを作る男。確かに、芸は達者そうだ。
「ああ、そういえば、一週間後にはミュルスの方にやってくるそうですね。あなたはショーを見に行きたいんですか?」
 男は、まっすぐにユリアンを見て訊ねてくる。ユリアンはなぜかどぎまぎしながら、目を逸らして男の質問に答えた。
「いや、別にオレが行きたいわけじゃないんだ。だけど、その……」
 最後の言葉を濁しながら、ユリアンはポツポツと答えた。
「まぁ、それはいいとして、アンタ、とりあえず詩を詠ってくれないか?」
 マスターは、興奮気味に男に頼んだ。なんだかんだ言って、一番楽しみにしているのは彼なのかもしれない。
「ええ、もちろん、よろこんで」
 男はやわらかな声でそう答えると、椅子に座りなおし、一度大きくフィドルをかき鳴らした。
 ポロロロロロン……
 軽やかな音とともに、すべての雑音がなくなっていく錯覚。ユリアンとマスターは、息を呑んで男のフィドルに目をやった。次に紡ぎ出される音を、今か今かと待ち続ける。
「それでは、お尋ねしますが……新しい詩と古い詩、どちらを聞きたいですか?」
「古いう――」
「新しいやつ!!」
 ほとんど同時に放たれた言葉だったが、元気のよさでユリアンのほうが勝っていたようだ。マスターの要望は、ユリアンの言葉にかき消されてしまった。
「そうですか……それでは、いきますよ!」
 男は滑らかな手つきで、指をフィドルへと運んでいった。


 おお〜、うるわしのかんとり〜

 おお〜、やさしいひとびと〜

 こころのふるさと〜


 シーン。
 そのあと誰も音を立てるものがない。
 フィドルの余韻だけが、その言いようのない重苦しさを、代弁するにふさわしかった。
 
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