昔話 ・7

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 夕日が落ちるのは、思った以上に早い。ユリアンは家に向かって走りながら、森の向こうに消えていく、オレンジ色の太陽を見つめていた。
 いつも暗くなるまで遊んでいるユリアンだったが、完全に陽が落ちてから家に帰るのは稀であった。
 普段、ユリアンが陽が落ちる前までに家に辿り着けるのは、トーマスやエレンたちに門限があるからだ。
 だが、今回家に帰るのが遅れたのは、かなりの回り道を強いられたせいであろう。
 ユリアンの家からエレンの家までは、子どもの足で三十分はかかる道のりだ。それに気づかず、トーマスについて行ってしまったために、急いで走っても日没までに家に帰ることができなくなってしまったのだ。
 一日のうち、こんなにも場所を変更したのは、今日が初めてのことだった。
 まともに遊ぶことはできなかったが、それでも、ユリアンは今日という日に満足していた。
(だけど……)
 そう、だけど、まだエレンの相談事を解決できたわけではない。それが、ユリアンの唯一の心残りだった。
 歯を食いしばってうつむきながら走る。何も考えないようにしても考えてしまう。
 そんなユリアンに、夜の暗闇が徐々に徐々に押し迫ってくる。
 言い知れない不安。どうしようもない焦燥。それらすべてに耐えながら、ユリアンは走り続けた。
 ふと前を見ると、道の真ん中に何か得体の知れない塊が転がっていた。もうずいぶん暗くなってしまっていて、それがなんなのかをここからでは確認することはできない。
 だが、今はそんなものに構っている暇などない。もし夕飯に遅れようものなら、父親のげんこつとトイレ掃除一ヶ月の厳罰が下されてしまうかもしれないからだ。
 道の端に避けるのも面倒くさい。ユリアンは塊を飛び越すことに決め、歩幅を調整し始めた。
 塊まで、目測五歩。四歩、三歩、二歩……一歩!!
 今だ――!!と言わんばかりに、きれいなジャンプを決めたユリアンの足に、何かヒヤリとしたものが絡みついた。
「え――?」
 声を上げるまもなく、ユリアンは真正面から地面に激突してしまった。
 地面にキスをしたまま、立ち上がるに立ち上がれないユリアン。思い切り鼻をすりむいてしまったため、人には見せられない顔になっていることだろう。
「っく――!なんだよ、いったい!?」
 悪態をつきながら立ち上がろうとしたユリアンは、自分の左足を見てぎょっとした。左の足首を人間の手がしっかりと掴んでいるからだ。おそるおそる後ろのほうを見て、ユリアンの心臓はさらに縮み上がった。先ほど飛び越そうとした塊が、もぞもぞと動いていたのだ。
 夕暮れの森。正体不明の化け物。子どもの肉を好む怪物……ここぞというときに、ユリアンは今まで父親に聞かされてきた、怪談話を思い出してしまっていた。
 心臓がばくんばくんと、早鐘を打つように鳴っている。全身からは冷や汗が噴き出し、小さな体はガタガタと震え始めている。
 緊張が極限まで高まっていく最中、
「うぅ……あぁ……」
 と塊がうめき声を上げたことで、ユリアンの緊張の糸はぷっつりと音を立てて切れてしまった。
「わああああぁぁぁぁぁーーーーー!!!!!」
 叫び声をあげて暴れまくるユリアン。手は地面を引っ掻き、掴まれた足をばたつかせて、何とか正体不明の塊から逃れようとする。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい!!!おねがいだから食べないで!!オレなんか食っても腹壊すだけだよ!家の仕事もきちんとするし、トイレ掃除だってする!!ニンジンだってもう残さないから、おねがい、誰か、たすけてーーーーーー!!!!!」
「ぐえっ……」
 次の瞬間、泣き喚きながら、じたばたと悶えるユリアンの耳に聞こえてきたのは、ガマガエルがつぶれたときのような音と、何がグニャリとした感触だった。
「え――?」
 そこで暴れるのをやめたユリアンは、もう一度、塊を確認するために振り返る。
 そんなユリアンの目と耳に飛び込んできたのは、
「ず、ずびばぜん……おだががへっでうごげまぜん。だにか、だべぼのをわげでぐだざい」
 顔を足で踏みつけられた、正真正銘の人間だった。

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