昔話 ・4
「ふえ〜……ビビッた〜」
村から少し離れたところにある小さな丘。そこに生えている大きな木の下で、ユリアンは上がりきった息を整えていた。体中から玉のような汗が、次から次へと流れ出てくる。
全力で走ったということもあるが、それ以上にエレンの家を覗き見していた罪悪感で、大量の冷や汗をかいてしまっていた。
「あっち〜!」
汗まみれのシャツがユリアンの瑞々しい肌に張り付いてくる。暑苦しいのと気持ち悪さに我慢できなかったのだろう。ユリアンはシャツを一気に脱ぎ去り、草の上に放り投げた。
途端に、涼しい風がユリアンの小さな体を撫ぜていく。
心地よい風に吹かれながら、ぼうっとした頭で、ユリアンはさっきのサラの言葉を思い出していた。
「大きらい……か」
ユリアンにも覚えがある。本当に嫌っているわけではないのだが、つい勢いで言ってしまう言葉。
そうして、時に人に深い傷をつけてしまう言葉。
噛み締めるように、もう一度その言葉を呟こうとした瞬間、左耳に例えようない痛みが走った。
「い、イテテテテテテテテ!!?」
突然の出来事に、なす術もなくされるがままになるユリアン。慌てて目を向けると、そこには鬼気迫る表情でユリアンの耳を摘み上げるエレンの姿があった。
「イタイ、イタイ、イタイ、イタイ!!!タンマ!お願い!やめて!ちぎれる!!それ以上やるとちぎれるから!!!イテテテテテテ!!!」
ほとんど懇願に近いユリアンの頼みを無視して、エレンは何も言わずに耳を引っ張り続けた。
耳を引っ張られればどんなものでも悲鳴を上げるだろうが、それにしてはユリアンの痛がり方は尋常ではなかった。
それも当然だろう。エレンは女の子ながら村の子どもの中で一番力が強く、村のちびっこ腕相撲大会で優勝してしまうほどなのだ。
ようやく解放してもらったときには、ユリアンの耳は腫れあがらんばかりに、真っ赤に染まってしまっていた。
涙目になって左耳を抑えながら、ユリアンは「いてー、いてー」と繰り返した。いつの間にか、ユリアンはエレンの前で跪いている。エレンといえば、相変わらずムッとした表情で、ユリアンを見下ろしていた。
しばらくして、ようやく耳の痛みが治まってきた頃に、エレンはユリアンに一言こう吐き捨てた。
「人ん家覗くなんて、サイテーね」
その言葉は、左耳の痛みよりも、ユリアンの心をグサリと貫いた。
ユリアンが顔を上げたとき、エレンは踵を返して立ち去ろうとしているところだった。
「待てよ、エレン!!」
立ち上がりながら、ユリアンはエレンを呼び止めた。一瞬、止まりかけたエレンだったが、それを振り切るようにして歩き始めた。
「サラは――サラはなんで泣いてたんだ!」
ユリアンはもう一度叫んだ。それは、その人を心から案ずることができなければ出すことができない、悲痛な叫びそのものだった。
エレンは踏み出しかけた足を止めると、一瞬間を置いて、ユリアンの方に振り返った。
瞬間、ユリアンは心臓が止まるほどの衝撃を受ける。
「ユリアン……あたし、どうしたらいい……?」
それは、エレンが見せる、初めての涙であった。