バースディ ・3
酒場は予想以上に大盛況だった。
昨日のあの詩のあとの沈黙がウソのように、今の酒場には軽快な音楽が流れている。
まだ昼間だというのに、酒場はほとんど満席だった。
ただ、座っているのは体格のいい男たちではなく、子どもや老人、それからいつも井戸端会議をしているおばさんたちが主である。
だがそれでも、満席であることに違いはない。マスターはいつもより忙しそうにカウンターの向こう側で働いていた。
「マスター」
ちょうどカウンター席が三つ空いていたので、ユリアンたちはそこに座ることにした。
「おお、お前たちか。どうした、何か飲むのか?」
厨房から顔を出したマスターは、にこやかな表情で応対した。
マスターがここまで上機嫌なのは珍しいことだ。いつもは穏やかで、気前がいい性格をしているのだが、やはり稼げる時に稼いでおきたいのだろう。言葉遣いが、いつもと少し違っていると感じていた。
「あ、僕はアップルティーで」
真っ先に注文したのはトーマスだ。
「あたし、特製オレンジ」
エレンも淡々と注文する。
「んじゃ〜、オレは〜……」
「お前はミルクでいいな。よし、決定」
酒の欄を見ようとしていたユリアンの先手を打って、マスターが注文を勝手に決めてしまった。
「あ、おい!なに勝手に人の注文取ってるんだよ!」
当然のごとくユリアンは抗議したが、マスターは口笛を吹きながらそれを聞き流した。
しばらくして、カウンターの上に置かれるそれぞれの注文。
「ん、おいしい」
まず匂いを楽しんでから、トーマスは紅茶を一口すすった。
「やっぱり、マスターのところの紅茶はいいね。このアップルティーも、匂いはリンゴだけど、味は控えめにしてあるし」
「そうか、ありがとう。やっぱり、トーマスだけだな、俺の紅茶の味をわかってくれるのは」
サービスだといって、マスターはバスケットいっぱいのクッキーをカウンターの上に置いた。
この店の商品は、大抵がマスターの手作りである。……ということはこのクッキーも、マスターの手作りということになる。
「あ、動物クッキーだ!」
いきなり手を伸ばして、ユリアンはクッキーの一つを摘み上げた。
「おー、牛クッキーだ」
「ヤギだよ、そりゃ」
少しぶっきらぼうに言って、マスターは厨房のほうに引っ込んでいってしまった。
このマスター、少しナイーブなところもあるらしい。
もともと、マスターは料理好きが高じて店を立ち上げたくらいである。やはり、料理のことに関しては、かなりのプライドを持っているのだろう。そのせいで、三十を過ぎた今も、独身生活を謳歌しているのだが……ちなみに、アルバイトと花嫁は随時募集しているそうである。
カウンターでちびちびとそれぞれの飲み物を飲みながら、ユリアンたちは後ろのほうで流れる音楽に耳を傾けていた。
先ほどまで子ども達のリクエストを受けて、テンポのいい明るい曲が流れていたのだが、今度は老人のリクエストを受けてか、スローテンポでムーディーな曲を演奏している。
なるほど、音楽に関して言えば、あの詩人はいいセンスを持っているようだ。ユリアンは椅子を反転させて、詩人の姿を探した。
詩人はすぐに見つけることができた。店の真ん中で、周りを客に囲まれながら、ゆったりとした調子でフィドルをかき鳴らしている。ぼうっとその様子を見ていると、ふと顔を上げた詩人と目が合ってしまった。
……いや、目が合ったというのは間違いかもしれない。詩人の顔は、やはり帽子が邪魔をしていてよく見えなかったからだ。
詩人はいったん曲を切り上げると、ポロロロロンと大きくフィドルをかき鳴らした。
全員の目が、一気に詩人に集中する。
「さて、ここで一曲詩を詠いたいと思いますが、皆様いかがですか?」
静まり返った酒場に、詩人の声だけが響き渡る。
ぱち、ぱち、ぱち……
初めはためらいがちに打たれていた拍手の数が、少しずつ多くなってくる。
「それでは、新しい詩と古い詩、どちらがよろしいでしょうか」
新しい詩、古い詩。次々にリクエストが出るが、それぞれ半々といったところだろうか?
「困りましたね〜……それでは、そこのあなた」
ピシリと、詩人はユリアンを指差した。
オレ?自分自身を指差すユリアン。
「ええ、そうです。あなたです。あなたは新しい詩と古い詩、どちらがよろしいですか?」
詩人はポロンポロンと楽しそうにフィドルを爪弾きながら、ユリアンの返答を待っている。
ユリアンは迷った。昨日、新しい詩は聞いているから、あんまり期待することはできない。だからといって、新しい詩があんなのなんだから、古い詩も期待することはできない……。
「……ふるい、うた」
ユリアンはためらいがちにそう答えた。
「古い詩ですね。それでは!」
詩人は一度大きく腕を振り上げると、今度は静かにフィドルに腕をもっていった。
静かな曲が流れる。
ポロンポロンと、小さく小さく、フィドルから音が流れてくる。
生まれ出でるは眩き赤子
詩はそこから始まった。
生まれ出でるは眩き赤子
誰もが息絶えるその中で
ただひとりだけ
産声上げる
赤子に群がるは
人の呪いとアビスの魔物
赤子はすべてを跳ね除けながら
前へ前へと進み行く
赤子の後ろに積まれるは
群がり損ねた魔物ども
それでも赤子は進み行く
道なき道を進みいく
ポロロロロロン……。
詩は、そこで終わった。
詩人が立ち上がり、一礼する。
その途端、酒場にいたすべての人が、詩人の詩に喝采を送った。
ユリアンはポカンと口を開けながら、もう一度礼をした詩人の姿を見つめ続けていた。
そうして、これだけ人を魅了する声を持つ詩人が、どうして新しい詩になるとあんなにダメになるんだろうと、ミルクを手に持ったままずっと考えていたのである。