吹き抜ける風と…

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 風が吹いていた。
 さわさわと音を立てながら、オレのすぐ近くを風が通り抜けていった。
 木漏れ日がまぶしかった。
 ゆっくりと目を開けると、木の枝が風に揺られて、光の通り道を作っていた。
 草の感触が心地よかった。
 朝露もすっかり乾いて、育ち始めた若草は絨毯みたいだった。
「ユリアン」
 優しい声が聞こえた。
 気づいていたけど、オレは寝転んだまま。
「ユリアン」
 また声が聞こえたけど、やっぱり返事をしなかった。
 足音が近づいてくる。
 オレは目をつぶったまま、やわらかい草を踏み分けるその足音だけを聞いていた。


「あ、やっぱりここにいた」
「・・・サラ」
 軽く息を弾ませながら、サラはうれしそうな声を上げた。肩が上下するのと一緒に、黄色のリボンで束ねられた髪が、肩口で小さく踊る。
 オレは服のことなんてよくわからないから、サラがなんていう服を着ているのかわからない。だけど、自分お手製だっていう服は、淡く光を帯びた黄緑色の髪に合わせるように黄色と緑で統一されていた。
 お世辞を抜きにして、オレはよく似合ってると思う。
 なんていうか……うん、そう、太陽みたいだった。初夏の陽の光だ。真っ青な空から降り注いでくる、あのなんとも言えないさわやかな日差し。
 サラは、まさしくそれだった。
 いや、それも少し違うな。雰囲気の話だ。実際、サラは内気で人見知りで、いつもオレやエレンのあとをついてくるような子だからだ。
 しっかりとした眉、よく通った鼻筋、血色のよい唇、少し朱に染まった頬・・・美人とまではいかない、少女らしい幼い顔つき。でも、最近はなんだか、大人っぽくなったかな・・・って思うときがある。
 オレが思うに、サラは将来、ゼッタイに美人になるね。エレンはエレンで、美人の部類に入ると思うけど、あれとはまた違った色っぽさが出てきそうだ。
 清楚……かなぁ?それとはまた違うかもしれない。でも、ひいき目に見ても、サラはかわいいと思う。
 ……だからって、別にオレはサラをどうこうってワケじゃない。だって、オレはエレンのほうがいいし、何よりサラは――
「な〜に、その顔。わたしじゃ不満だった?」
「べつに……エレンが来ても、おんなじさ」
「ふふふ、ユリアン、わたし、お姉ちゃんのことなんか一言も言ってないよ」
 ――やられた。
 オレは目を閉じた。恥ずかしくて、まともにサラを見れない。
「あ、怒った?ごめんね、ユリアン」
 草を踏み分ける足音が近づいてくる。サラの顔が、またオレの視界の中に入ってきた。
 最近、サラはよくさっきみたいな軽口をたたくようになった。ちょっと前までは、本当に近しい人に対しては、話の途中で一つや二つくらい冗談を言っていたことはあったけど、会って早々あんなことを言うような子じゃなかったと思う。
 ……まぁ、見ていれば理由くらいすぐにわかるんだけど。
「どうしたんだよ?トムについていくんじゃなかったのか?」
 途端に、サラはうつむいて黙りこくってしまった。
 ほらね、この名前を出したらすぐこれだ。軽く溜め息をついて、オレは目をつぶった。
 どうも、サラはトーマスに恋をしちまってるらしい。いつごろから……なんて、オレが知ってるはずがない。そりゃ、昔からサラは、トムのヤツに憧れてたのは知ってたけど、それはそれだけの感情であって、それ以上の感情になることなんてないって、オレが勝手に考えてただけのことだ。
 前は、トムが来ただけでエレンの後ろに隠れてもじもじしてるだけだったのに、近頃はことあるごとにトムと一緒にいる気がする。
 そのせいで、いっつもピリピリしてるエレンの面倒を見るハメになるオレの身にもなってほしいもんだよ。
 髪を掻きながら、でっかいあくびをした。
 風が気持ちいい。
 このまま眠っていれば、ふわふわとどっかに飛んでいけるような気がする。
「ユリアン、隣、いい?」
 いいよ。俺は左目だけを開けて、サラに目配せした。
 サラは一度微笑んでから、ゆっくりとオレの隣に腰を下ろした。
 木陰の下で、オレとサラはそよぐ風に身を任せていた。
 聞こえるのは、草や木がざわめく音だけだ。
 時折、強い風がその辺の草や木と同じだと勘違いをしているのか、オレの髪を掻き撫でていく。
 でも、直すのもめんどくさいから、乱れた髪はそのままだ。
 目を開けると、木漏れ日がちかちかと目の中に飛びこんでくる。
 だから、オレはもう一度目をつぶった。
 また、風が吹いた。
 何をそんなに急いでいるのか、風はオレたちを見向きもせずに、あっという間に向こうの方まで行ってしまった。
 ・・・ああ、ばかみたいだ。
 風が人間みたいに意思を持ってるはずがない。そんなことはわかってる。風は、ただ吹いているだけだ。オレがそんなセンチメンタルなこと言ってたら、エレンかトーマスに笑われちまう。
 でも……だけど、今日は、今日だけは、風にも命があっていいと思ってる。――いや、あってほしい。
 風が吹き抜けたあと、辺りにまた静けさが戻った。
 オレたちは、何もしゃべらなかった。
 サラはどうかはわからないけど、オレは特に話すことなんかなかったし、会話なんてなくたってオレたちはお互いが何を考えてるかくらいすぐにわかる。なんたって、幼なじみだ。どっちかって言えば、エレンのほうがわかりやすいけどな。
 だけど、サラだって、オレは生まれたときから知ってる。だから――
「ねぇ、ユリアン」
 ――前言撤回。オレはまだ、サラのことをわかってなかった。
 サラの呼びかけに答えるべく開いた目に、木漏れ日がちかちかと入ってきた。
 ちょっとまぶしい。目の前が真っ白になって、サラの顔なんてまともに見れない。でも、オレは構わずサラのほうに目だけを向けた。
 うすぼんやりとした、サラの輪郭。
 そのときオレは、その姿をとても懐かしい誰かの姿に重ねていた。
「ユリアン」
 優しい声。その声も、懐かしい誰かの声。もう、決して会うことのできない人の声。
 一度、風が吹いた。そして、ほんの一瞬、すべての音がやんだ。
「ずっと……ずっと前にも、こんなことがあったよね」
 さあぁぁぁ……っと、ひときわ強い風が丘を駆け下りていく音が聞こえた。
 視力の戻った目で、オレはしばらくサラの瞳を見つめていた。
 深い茶色の瞳の奥に、期待と不安が入り混じっているのが、手に取るようにわかった。
 覚えてる・・・?サラは――サラの瞳は、そう言葉を紡いでいた。
「……忘れた」
 オレはサラから視線を逸らすと、一言だけこう返した。
「ん…そう」
 サラはたぶん、少しだけ悲しげな目をしていただろう。それを見るのが嫌だったから、俺はサラから目を逸らした。
 だけど・・・だけど、それは本当に正しいことだったのか。
 オレは一度目をつぶって、小さく、決して誰にも聞こえないように、胸に刻んでいるいつもの言葉を呟いた。



 自分が、正しいと思うことをやれ……
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